西太后は、いろいろな逸話が語り継がれている悪女と呼ばれた女性です。
中国が清という名前の国だったころの権力者で、皇帝を陰で操りライバルを蹴落とし、残忍な行いで国を傾けたと言われています。
・西太后はどのような人だったの?
・西太后の若い頃が知りたい!
・西太后の結婚歴が知りたい!
と気になっているあなたのために、西太后の若い頃、プロフィールや結婚歴についてご紹介します。
【画像】西太后の若い頃(昔)を紹介!
西太后の若い頃の写真は残っていませんでしたが、最新のAIを使って再現した若い頃の想定写真は見つけることができました。
才色兼備の女性だったと言われているだけあって、この写真を見る限りとても美しい顔立ちをしていたように思います。
西太后のプロフィール
名前 | 西太后・慈禧太后(じきたいこう) |
誕生日 | 1835年11月29日 |
没日 | 1908年11月15日 |
生地 | 諸説あり |
没地 | 清国北京中南海儀鸞殿 |
配偶者 | 咸豊帝 |
埋葬場所 | 清国直隷省遵化直隷州普陀峪定東陵 |
清国とは中国のことです。
西太后の若い頃はこんな人
西太后は貧しい家に生まれながらも政治を補佐する地位まで上り詰めました。
身長は175cmを越えた才色兼備の女性でした
数々の恐ろしい逸話も残されています。
西太后の略歴は以下の通りです。
・漢民族の貧しい農家に生まれた
・4歳の時に他の漢民族の家に売られ、12歳の時に下級官吏の家に売られた
・18歳の時に後宮に入り咸豊帝の側室となった
西太后の出生についてはいくつか語られていますが、漢民族の貧しい農家の生まれだと言われています。
西太后が纏足(てんそく:足を布で巻いて小さくする)をしていないことから満州族の生まれだったとされていましたが、実際には纏足もできないほど貧しい家の生まれだったと考えられるようになりました。
西太后は4歳の時に他の漢民族の家に売られ、12歳の時に下級官吏の家に売られることになります。
18歳の時に後宮に入り咸豊帝の側室となりました。
その後22歳の時に男の子を出産し、この子が感豊帝の初めての男の子だったことで西太后の地位は最下層の「貴人」から皇太后に次ぐ「貴妃」にまで昇格しました。
息子の同治帝が皇帝に即位すると、西太后も政治にかかわるよう。
同治帝が亡くなったあとも甥の光緒帝を即位させることでずっと政治にかかわっていました。
息子の殺害
息子の同治帝が18歳になった時西太后が結婚相手を紹介しましたが、同治帝はこの相手を拒否しました。
それもこの相手を拒否するだけでなく咸豊帝の皇后である東太后が紹介した相手と結婚すると言いました。
このことに西太后は怒り、息子である同治帝を殺してしまったという逸話が残っています。
同治帝の死後すぐに、自分の妹と感豊帝の弟が産んだ当時4歳だった光緒帝を次の皇帝にしてしまいました。
その手際に良さからも計画的に同治帝を殺したのではないかと言われています。
東太后の殺害
咸豊帝の皇后である東太后は感豊帝の遺言状を持っていました。
その中身は「今後彼女が実権を握るようであればこの遺言状を公開せよ」というものでした。
東太后はその遺言状をずっと持ていましたが、ある日西太后に見られてしまいます。
西太后はこの遺言状の存在に恐怖を感じて東太后を毒殺したのちにその遺言状を処分したと言われています。
同治帝の本当の死因は梅毒か天然痘と言われており、東太后も病で亡くなったとされていますが、もし本当に殺害していたのだとするとかなり恐ろしいですね…。
しかしその一方で良い噂もあります。
西太后が若いころに重い病気にかかった際、ある侍女がとてもよく看病していたそうです。
西太后はその時の感謝を持ち続け、その侍女の息子を西太后のスタッフとして迎い入れたと言われています。
どうしても悪い噂ばかりが目立っていますが、自分に尽くしてくれる人にはとても優しかったのではないかと考えられます。
西太后の結婚歴
西太后は咸豊帝が亡くなった後は誰とも結婚したことはありません。
しかし、咸豊帝が亡くなったのは西太后が27歳の時だったので、いろいろな噂はあります。
1人目は栄禄です。
栄禄との交際は後宮内では公然の秘密とされており、西太后の権力を恐れて誰も口には出さなかったとされています。
2人目は李蓮英です。
西太后は栄禄か李蓮英のどちらかとの間に子供ができ人工的に流産させたという話もありました。
後宮は男性との接触が制限されているとはいえ、やはりこのような噂があるようです。
まとめ
- 西太后の若い頃を再現した写真ではとても美しい顔立ちをしている
- 西太后は漢民族の貧しい農家の生まれ
- 西太后は4歳の時に他の漢民族の家に売られ、12歳の時に下級官吏の家に売られる
- 18歳の時に後宮に入り咸豊帝の側室となる
- 22歳の時に男の子を出産し皇太后に次ぐ「貴妃」に昇格
- 息子である同治帝と咸豊帝の皇后である東太后を殺害した噂がある
- 咸豊帝が亡くなった後の結婚歴はない
- 栄禄と李蓮英と恋愛関係にあり、どちらかとの間に子供ができ人工的に流産させた噂がある
西太后は貧しい家の生まれながら、皇帝の側室、その後は皇太后にまで上り詰めた才色兼備で素晴らしい人物だったと考えられます。
しかし、その人生の中では数多くの悪い噂がありました。
これらの話が本当の話なのか、作られたものなのかは本人にしか分からないですが、西太后という人物について知るためには貴重な話ではないでしょうか。