近頃バラエティ番組でよく目にすることの多い、デヴィ夫人。
華やかな衣装やアクセサリーにも負けない美しさをもつデヴィ夫人ですが、デヴィ夫人は一体どこの国の人なの?と疑問に思いますよね。
・デヴィ夫人はどこの国の人なの?
・結婚はしている?夫は誰?子供はいる?
・何をしている人なの?
・どうやって美しさを保っているの?
と疑問に思っているあなたのために、デヴィ夫人の出生や経歴、結婚歴や家族構成についてまとめました!
デヴィ夫人が美しく、元気に過ごしている秘訣も調べましたので、デヴィ夫人が気になる方はぜひ記事を読んでみて下さい!
「デヴィ婦人」はどこの国の人?
デヴィ夫人の来歴はこちらです。
名前 | ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ |
旧名 | 根本 七保子(ねもと なおこ) |
出生地 | 日本:東京都 |
生年月日 | 1940年2月6日 |
国籍 | インドネシア |
デヴィ夫人は東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)で生まれました。
家族は父親と母親と弟の4人家族です。
実家はとても貧しく、地元の高陵中学校を卒業した後、東京都立三田高等学校定時制課程に進学し、それと同時に千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社します。
働きながら高校に通い、昼休みや休日には喫茶店などでアルバイトをして家計を支えていました。
1956年に父親が亡くなったのを機に高校を中退し、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めます。
デヴィ夫人は今の華やかなイメージとは反対に、日本の貧しい家の生まれです。
働きながら昼休みや休日にアルバイトをして、夜には高校にも通うなど相当な苦労をしてきたのが分かりますね。
そんなデヴィ夫人がどのようにして今の華やかな生活を手に入れたのか気になりますね!
結婚はしているの?
デヴィ夫人はインドネシア元大統領であるスカルノ元大統領と結婚しています。
赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めたデヴィ夫人は、その美しさと頭の良さが評判となっていました。
1959年にインドネシアと関係があった貿易会社のメンバーが、デヴィ夫人をスカルノ元大統領と引き合わせます。
若い頃のデヴィ夫人
スカルノ元大統領
デヴィ夫人がスカルノ元大統領に見初められたのが19歳の時で、出会いから3ヵ月後に2週間ほどインドネシアに遊びに来ないかと誘いを受けます。
小さい頃から世界に飛び出したいと思っていたデヴィ夫人は、この誘いを受けてインドネシアへ行きます。
インドネシアへ渡って2週間が過ぎるころに、スカルノ元大統領から熱烈なプロポーズを受けます。
「私のインスピレーションとなってください。私の力の根源となり、人生の喜びとなってください」
デヴィ夫人は、
「こんなに美しいプロポーズは100年生きても聞くことはできないだろう。私は選ばれたのだ。そして、選ばれた以上、全力でお尽くししよう」
と思い、スカルノ元大統領との結婚を決意しました。
この時スカルノ元大統領は58歳、デヴィ夫人は19歳でした。
結婚後も日本国籍でしたが22歳の時に母親と弟を同時期に亡くし、それをきっかけに全身全霊でスカルノ元大統領に尽くすためにインドネシア国籍を取得しました。
このような経緯があり、日本で生まれたデヴィ夫人はインドネシア国籍を取得することになりました。
この時、スカルノ元大統領がラトナ・サリ・デヴィ・スカルノという名前をつけました。
デヴィ夫人の旦那と子供について
デヴィ夫人の夫はインドネシア元大統領であるスカルノ元大統領です。
出会った頃は愛人の1人だったデヴィ夫人ですが、熱烈なプロポーズを受けたことによってスカルノ元大統領の第3夫人となりました。
しかし、スカルノ元大統領の死によって結婚生活は8年で終わってしまいます。
1967年、デヴィ夫人とスカルノ元大統領の間に娘であるカリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんが誕生します。
スカルノ元大統領にとっては8人目の子供です。
デヴィ夫人は日本で娘を出産しますが、スカルノ元大統領が身分をはく奪されインドネシアに戻ることができず、娘と2人でフランスへ亡命します。
パリの社交界では、その地位や美しさから「東洋の真珠」と賞賛を浴びることになります。
1979年に1人でインドネシアに戻ったデヴィ夫人は娘を迎い入れるために働き、ヨーロッパの5つの大きな会社のビジネスを成功させ、メンテン地区という高級住宅地に家を建てました。
娘のカリナさんはその後結婚し、デヴィ夫人にとっては孫であるフレデリック・キラン・スカルノ・ゼーガースさんが誕生します。
貧しい家に生まれながらもインドネシア大統領夫人になり、情勢の混乱に巻き込まれながらも東洋の真珠と呼ばれ、今では娘や孫にも恵まれたデヴィ夫人の苦労や努力がとてもよく分かりますね。
デヴィ夫人の職業と現在のライフスタイル
デヴィ夫人は2000年代から徐々に日本のテレビ番組に出演することが増えました。
バラエティ番組に出演するタレントとして活躍する一方、慈善家としても知られています。
2005年にNPO法人アース エイド ソサエティ(EARTH AID SOCIETY)を設立し、毎年秋には「ザ グランド インペリアル チャリティ バンケット」を開催して、その収益金で寄付などを行っています。
バラエティ番組では高齢であるデヴィ夫人が体を張っている場面を見ると、なんでそんなことができるの?と感心しますよね。
デヴィ夫人は、
「他の方にできて私にできないことはありません。挑戦しないことより、挑戦する気持ちを失うほうが私にとっては怖いこと。つねに17、18歳の気持ちで何事にも興味と好奇心と探求心を持って臨んでいます。」
と述べています。また、
「一日に10回は感動してください」
とも述べています。
どんなことでもいいから、きれいなお花を見る、好きな音楽を聴く、新聞でいい記事を読む、お友達と電話でおしゃべりし合うなど、1日10回感動することが大事だというのです。
感動して心が高揚すると、リンパやホルモンの働きが活性化されて、肌にいい影響を与えてくれるとのことで、デヴィ夫人のきれいさは1日10回の感動が影響しているのでしょう。
いつまでも挑戦する心を忘れず、10代の時のような感性を持っているからこそいつまでも若々しく見えるのでしょうね。
デヴィ夫人のライフスタイル
気持ちの面だけではなく体型維持についても努力を怠ることはなく、まごわやさしい(豆・ごま・わかめ・野菜・魚・しいたけ・イモ)を中心に、糖質カットの食事をしているそうです。
洋服もユルッとしたものを着ることはなく、コルセットでウエストを締めて生活しています。
ダンスやスキー、スキューバダイビングなど、さまざまなスポーツにも挑戦しているとのことで、バラエティ番組でもその運動神経が発揮されていますね。
デヴィ夫人の美しさや華やかさは、これまでの経験や自らの努力からあふれ出てくるように感じますね。
まとめ
今回はデヴィ夫人の経歴や家族構成、ライフスタイルを調査しました!
- デヴィ夫人は東京都の貧しい家に生まれた
- 父親が亡くなったのを機に高校を中退して高級クラブ「コパカバーナ」で働き始め、インドネシア元大統領のスカルノ元大統領と出会う
- デヴィ夫人19歳、スカルノ元大統領58歳の時に結婚した
- 22歳の時に母親と弟を亡くし、日本国籍からインドネシア国籍に変える
- 27歳の時に娘であるカリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんを日本で出産、現在は孫であるフレデリック・キラン・スカルノ・ゼーガースさんが誕生
- 職業はタレント、慈善家
デヴィ夫人は日本の貧しい家に生まれながらも努力によって、今の生活を手に入れました。
デヴィ夫人からあふれる美しさや華やかさは、こうした経験からくるものなんだなと感じました。
これからもテレビに出演するデヴィ夫人を応援し続けたいと思います!