上島竜兵さんが亡くなられてから、どんな人物だったのかがだんだんとわかるようになりました。
では、どんな育ち方や生い立ちだったのか?
気になるところですよね。
実は上島竜兵さんの父が電気系の会社を経営されていたそうです。
経営者の息子だからお金持ちなのではうウワサも。
小学生の頃はいじめられっ子だったいうウワサについても育ちや生い立ちから検証したいと思います!
上島竜兵のプロフィール
- 名前:上島竜兵 (本名:上島龍平)
- 生年月日 1961年1月20日
- 年齢 61歳
- 身長 162cm 体重75kg
- 血液型 AB型
- 出身地 兵庫県
- 学校 神戸市の中学、高等学校
上島竜兵の育ち
上島竜兵さんは、兵庫県の丹波市で生まれました。
スーパーやコンビニが少ないことや駅から遠いなど交通は不便ですが、自然豊かな場所です。
幼少期の頃は、兵庫県内で引っ越しが多かったようです。
丹波市から都会の神戸市に引っ越しされたのは2~3歳のようです。
丹波市の記憶はあまり残ってなさそうですね。
神戸市内で何度か引っ越しをされ、19歳の時に俳優を目指して上京します。
上島竜兵さんって東京の人じゃなかったの? 関西弁じゃないけど?
そうなんです、上島竜兵さんは兵庫県出身なので関西弁を使うはずなのに標準語を使っていますよね。
標準語を使っていた理由は2つあげられます。
1つずつ紹介します。
- 関西弁は当時悪いイメージがあった
平成の初期の頃は、テレビで関西弁を使うのは悪いイメージを与えていたそうです。
上島竜兵さんはがんばって標準語を話せるように訓練しました。
実は、寺門ジモンさんも関西出身(京都)ですが、標準語を話せるように訓練されました。
もうひとつの理由は、
- 先輩に失礼だと思ったから
ダチョウ倶楽部は東京の芸人としてテレビでデビューしました。
大御所のビートたけしさんなどに対して失礼に値するのでは?と考えたそうです。
上島竜兵の幼少期│小学生の頃はいじめられっ子だった
調査によると、小学生の頃はいじめられっ子だったそうです。
いじめられやすい理由は下手に出がちで、いじられやすいキャラクターだったためです。
ただ中学3年生まではおちゃらけた人気者であったことも、インタビューで公言しています。
高校生になってからは俳優になったときのことを考え、あえて交友関係は少なくおとなしかったそうです。
有名になってから「あいつはおちゃらけたやつだった」と言ってほしくなかったためです。
上島竜兵の家族構成
上島竜兵さんの家族構成は、両親と弟、上島竜兵さんの4人家族です。
上島竜兵の幼少期│父はサラリーマンで家は貧乏?
上島竜兵さんの父は電気系の会社で務めていました。
大きいメーカーとして知られる「ノーリツ」です。
主に、給湯器やエアコンの設置をする会社ということです。
上島竜兵さんの温かそうな雰囲気からお金持ちなのでは?というウワサもあったのですが、実は貧乏だったことが発覚。
- 家の大きさは文化住宅程度
- 風呂がない
- 壁は砂壁
- 夏は公園の水で水浴び
風呂がなく、公園の水をシャワー代わりにしていたことから決して裕福ではなく、どちらかというと貧乏だったことがわかりますね。
ただ、中学3年生からは中古住宅ではありますが、大きな家に住むことができて一人部屋を満喫したそうです。
上島竜兵さんの父は芸事が好きで、めでたい席では率先して歌を歌う陽気な人でした。
女好きであることやお酒をよく飲むことから、上島竜兵さんは「父とよく似ている」とインタビューで公言しています。
家にお風呂がなく、着ているものも少し貧相だったそうです。
・公園の水で水浴びしていた
・親戚の銭湯に通っていた
公園の水で水浴びしていたのは遊びではなくてお金がなかったからシャワー代わりに使っていたそうです。
そこそこ貧乏だったことがうかがえますね。
上島竜兵の経歴
上島竜兵さんは18歳まで兵庫県に住み、19歳から上京されました。
目的は俳優になるためです。
当時の主演のギャラが6億円だとパンフレットに載っていたことが衝撃で、そんなに稼げるなら俺も俳優になる! と決意したそうです。
上京するための資金は喫茶店のアルバイトで貯めました。
テアトル・エコーという俳優養成学校で、寺門ジモンさんと出会います。
一緒に渡辺正行さんのもとへ訪れたのがきっかけでお笑いの道へ入ることに。
渡辺正行さんが紹介した2人はこちら
- 肥後克広
- 南部虎弾
南部虎弾さんは「電撃ネットワーク」とも呼ばれており、派手なパフォーマンスが特徴の人物です。
1985年から4人組で「ダチョウ倶楽部」が始まりました。
しかし、1987年から2年後に南部虎弾さんはダチョウ倶楽部を脱退します。
理由は
でした。
それから、テレビ出演が増えたダチョウ倶楽部はお茶の間の人気者となっていきました。